桂小米朝の「新・私的国際学」<7>(2003年5月18日)

大阪・船場の道修町。堺筋と交わる角に黒塀が印象的な商家がある。コンクリートで埋めつくされた都会に一風の清涼をもたらすこの建物は、接着剤「ボンド」で知られるコニシ株式会社の旧家である。

近世より薬屋を営んできた小西家が、この家を建てたのが明治36年。以来、奇跡的に戦火をまぬがれ、近代化の波に潰されることもなく、今年築100年を迎えた。国の重要文化財にも指定されている。

先日、私は中を案内していただく機会を得た。土間に入った途端、落語の世界へタイム・スリップした。へっつい(かまど)や井戸がそのまま置かれている。「定吉!」「へーい」「平野町の田中屋はんまで使いに行てきまひょ」てな会話が聞こえてきそう。約300坪の敷地に表屋(店棟)と主屋(居住棟)と蔵が並ぶさまは、船場商人の奥深さの象徴でもある。

驚いたのは、ここで普通に仕事しておられるという事実。会社の事務所として稼働しているのだ。二代目当主の孫、小西新太郎さん(63)が仰っしゃる。

「町家を維持するのは大変なことです。ただ、先代の魂を後世に伝えたいという一心で、何とか成り立っているんだと思います。商人の意地ですかねぇ(笑)」

だが、国の文化財保護の方向性は「元の素材や形状で保管すること」。瓦を葺き替えたり、新たに電気配線を通すのには否定的。そうすれば助成金が出にくくなる。

私は思う。使ってこその文化財ではないか。跡地と石碑だけの街になりゆく大阪にあって、町家で暮らす人は貴重な存在だ。幸いこの辺りには味わいのある建物がまだ点在している。緒方洪庵塾の家屋は一般見学できるし、愛珠幼稚園は現役だ。しかも、日本家屋は洋館建てともマッチする。三休橋筋の浪速教会、シェ・ワダ高麗橋本店、正面に見える中央公会堂・・・。京都・奈良とは一味違う、しかし歴史を感じる大阪であってほしい。

点を線でつなげる努力。道行く一人ひとりが景観を意識することが、誇れる街の創造につながるのではないか。