2022.02.01 《旧暦に寄り添う暮らし》

皆様、あけましておめでとうございます!

今頃何やって? いえいえ、旧暦での挨拶です。西暦より日付が一ヶ月ほど遅れる太陰太陽暦のこと。旧暦(太陰太陽暦)では、今年は西暦(太陽暦)2022年2月1日がお正月になるのです。

ちょうど梅が咲き始める頃と重なり、迎春の風情が味わえますよね。門松(松竹梅)を立てる意味合いもよく分かるというもの(^−^)

私はかねてより「旧暦こそ四季折々の風情を大切にしてきた日本人に相応しい暦である」と感じておりましたが、最近とみにその思いが募るようになりました。「コロナ騒ぎ」で外国人観光客が来なくなり、本来の日本らしさが際立ってきたからかもしれません。そういう意味では「コロナ」に感謝ですね(^◇^;)

日本人は太古の昔から太陰太陽暦に沿って暮らしてまいりました。すなわち、一年の長さは今と同じく地球の公転軌道(地球が太陽のまわりを一周する時間)で、日付に関しては月の満ち欠けに拠(よ)って算出するのです。そして、月齢がゼロの日を朔日(ついたち)にしたので、毎月必ず1日が新月で、15日が満月となるというわけ。「十五夜」の意味もよく分かりますよね。

但し、月の朔望(月が地球のまわりを一周する時間)は29.5日なので、小の月は29日で大の月は30日となります。これは西暦の一ヶ月より若干短いので、12ヶ月経った時、地球の公転軌道より10日ほど短くなります。三年経つと30日ほど短くなるので、三年に一度、閏月(うるうづき)を入れて調整するのです。なかなか科学的でしょ!

そして、二十四節気(立春・雨水・啓蟄・春分…)の「雨水」に掛かる月の朔日(ついたち)を年始と定めました。したがって、毎年「立春」前後が元日となり、先人達は正月に初春の風情を存分に味わってきたのです。

 

ところが、明治維新となると政府の脱亜入欧政策により、日本人が長年慣れ親しんできた太陰太陽暦を手放し、西暦を採用。明治5年12月3日を1873(明治6)年1月1日としたため、一ヶ月ほど日付が早まりました。

その時、それまでの年中行事をそのままの日付で行うようにしたため、暦と季節感にずれが生じることとなりました。すなわち、桃の節句に桃は咲かず、端午の節句に菖蒲は咲かず、七夕は梅雨の真っ只中となったのです。日付をひと月遅らせて行なっているのは祇園祭ぐらいではないでしょうか。

ちなみに、西暦の年始は「イエスの誕生日の8日後」に充てているのです。ユダヤ教の教義「割礼(生後八日目の男児のペニスの包皮を切り取る儀式)」の日を年始にしたというわけ。それなら、いっそ「冬至」に充てたほうがまだしも太陽暦としての理に適っていると思うのですが、実際は極めて宗教的な采配でした。

 

皆さん、ここは日本です。幸か不幸か今は「コロナ騒ぎ」で外国人観光客が激減し、江戸時代の情趣を感じることができるようになりました。明治以前に生まれた芸能はすべて旧暦に即して作られてきたのです。お客も演者も旧暦の感覚があってこそ享受できるというもの。個人的には「太陰太陽暦が世界基準になれば良いのになぁ」と思っているのですが、なかなかそれが叶わぬ今、せめて旧暦に寄り添った暮らしをしてみませんか。日本の心を忘れぬために…。

【西暦2022年2月1日、旧正月に自宅近くの神社から拝んだ御来光】

米團治 拝