2013.02.23 《四天王寺と天王寺》

今年も2月22日の四天王寺は沢山の屋台が立ち並び、大いに賑わいました。四天王寺を創建した聖徳太子の命日だからです。毎月22日には境内で太子会(タイシエ)が行われます。

 

ちなみに、前日の21日は聖徳太子を敬愛した弘法大師の月命日にあたり、大師会(ダイシエ)が催されます。

 

 

私は上方落語の『天王寺詣り』としても有名な四天王寺を時々ふらっと訪れます。そして、お参りする度に、このお寺のおおらかさに感じ入ってしまうのです。「都会の喧騒の傍らでこんなに静かな所があるなんて」と──。

  

 

阿弥陀如来坐像と十一面観音立像が置かれている講堂や、ご本尊である救世観音菩薩像が安置されている金堂へ気軽に入れるし、五重塔もてっぺんまで上がることができるのです。上から天王寺界隈を眺めると、『鷺とり』に出てくる男の気持ちになれますよ(^o^ゞ

 
なんでお寺に鳥居やねん? 四天王寺創建寺の謎と関わる西門にある石の鳥居。

 
聖徳太子の正体、景教もしくはゾロアスター教との関わりを暗示している牛王祠。

 
密教との関わりを感じさせてくれる力強い不動明王。

 

創建は今から1400年以上も前のこと。『日本書紀』によると、西暦587年、崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いに勝ち、数年後に持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)という四天王を脇神に配したお堂を作ったとあります。それゆえ、日本最古の本格的仏教寺院と言われているこの寺は、和宗総本山「四天王寺」と命名されたのです。

 

ところが、いつしかなぜか“四”の字が取れて「天王寺」と呼ばれるようになり、「天王寺」という言葉が駅名や地名として広まって行きました。そう、地名としての知名度のほうが増して行ったのです。

 

そのため、今では「天王寺」と「四天王寺」は別物だと思い込んでいる人も少なくありません。実際、天王寺駅とは別に、四天王寺駅もありますからね。

 

で、私はここにこそ大阪の文化停滞の原因があるのではないか──と思っていたのです。行政も「天王寺は四天王寺のことである」ことを周知させて来ませんでしたもんね。

 

だから、大阪人はもう少し「四天王寺があってこその天王寺界隈なんやで」という意識を強く持ってはどうかと思っていたのです。

 

ところが──! 歴史学者の古賀達也氏の説によると、「四天王寺の名前が変わっていないのに、地名だけが“四”を取って“天王寺”に変化したと考えるほうが不自然ではないか」と言うのです。私は「なるほど!」と思いました。さらに古賀氏は、「この地域は昔から“天王寺村”と呼ばれていた。しかも、鎌倉時代に編纂された“二中歴”という書物によると、“618年、難波に天王寺を建立”とある。おそらく、大化の改新以前には別に“天王寺”があり、何らかの事情で“四天王寺”に組み込まれたのではないか」と推察されたのです。

 

ロマン溢れる古代史の新説に触れ、俄然、私は色めき出しました(^0_0^)

 

天王寺は四天王寺のことなのか、それとも別の物なのか…。どちらが正しいのかは分かりません。でも、自分なりに色々と調べようという気になりました。皆さん、どうかお知恵をお貸し下さい☆

 

しかし、いずれにせよ、天王寺区は歴史の宝庫。天王寺界隈には素敵な所が茶臼山のようにあります…あ、こう言うと仰山あるように聞こえませんね(^o^ゞ でも、実際、古代史探求の材料には事欠きませんし、現代の文化財の宝庫でもあります。

 
大阪の財閥、住友さんが大阪市に寄贈した慶沢園。実に美しい!

 
その庭園から眺める景色。大阪市立美術館の裏側の姿もカッコいい!

 
日本一の高さを誇るビルになるべく建設が進む「あべのハルカス」を借景とするようになった美術館。

 

 

あべのハルカスが完成する頃までに、天王寺の謎を解こう。そして、一日も早く『天王寺詣り』を高座にかけようと思った次第(^ー^)☆