2013.03.22 《宗右衛門町“石畳の道”開通式》

2013年3月22日(金)、大阪ミナミの宗右衛門町は大いに盛り上がっておりました(^0_0^)

 

 

“バブル”崩壊後、宗右衛門町の街並みが風俗店などの登場で無秩序になってしまったことを憂いていた商店主の方々が「昔の良さを取り戻すため、まずは道路を石畳にしよう」と決起したのが18年前。「実現なんて、とても無理だ」との非難の声に耐えながら、今日、それが実現したのです。

 

官民一体となった「石畳の開通式」には大阪府警察音楽隊の演奏も加わり、今宮戎の津江宮司の祝詞奏上の後、“歩き初め”がスタート──。宗右衛門町以外の商店街の方々もこぞって練り歩かれました(^ー^)

 

 

桜で飾られた台車には、上方落語協会を代表して三枝改め六代目桂文枝会長が、邦楽界からは山村流宗家の山村若さんが、OSK日本歌劇団からは桜花昇ぼるさんが立たれました。そして、私もそこに(^o^ゞ

 

 

小米朝から米團治に名前が代わる時には「ミナミ花舞台」という催しで商店街の皆さんに大変お世話になりました。そんな誼もあり、このパレードに私も及ばずながら花を添えさせていただいたという訳です。

 
福娘の皆さんもお祝いに駆けつけて…、こちらはまことに華やか\(^o^)/

 

“歩き初め”の後は、宗右衛門町商店街振興組合の岡本敏嗣会長の挨拶に始まり、ホテルメトロで華やかな宴が繰り広げられました(^ー^)

 
ミス宗右衛門町の方々と(^0_0^) 「ミスに選ばれた瞬間、どんな気持ちでした?」「目ん玉、飛び出るほど嬉しかった!」

 
山村若さんと(^0_0^) 「雨、降らんで良かったなぁ」「ほんまやなぁ」。

 

特筆すべきは、通りが石畳になったと同時に、電線が地中に入ったことです。道幅が僅か7mという通りの電線を地中に埋めるのは至難の技だったとか…。

 

結びの挨拶で、焼肉・食道園の江崎政雄社長が「官民の協力があればこそ実現したことだ」と強調しておられました。

 

宗右衛門町界隈が昔の華やぎと秩序を取り戻すにはまだまだ時間がかかるでしょうが、私には3月22日という日が「ミナミ再生」への大きな第一歩となったように思えました。ミナミの繁栄を心からお祈り申し上げます☆☆☆