小米朝流「私的国際学」<2>(2001年1月13日)

成人式が大荒れ--会場で酒を飲む者、来賓に罵声を浴びせる輩・・・。彼らとしては一世一代のパフォーマンスだったのだろうが、悲しいかな公私の区別がついてなかった。秩序を失った自由・平等教育の中で、“男らしさ”や“敬う心”を学ぶことなく、ただただ「仲間にウケたらヒーローや」という意識だけで行動する連中が増えてきた。

TPO(時・場所・行事)を使いこなせぬ若者の現実。携帯電話が氾濫し、電車内が公共の場でなくなりつつある今日、我々大人が“礼儀”を教える勇気を持ち続けることが重要な使命となろう。

だが、肝心の大人が野次と水掛け論の国会をしているようではねぇ・・・。保身術にたけった議員さんが「明日の日本を築くのは君たちだ」と言っても、「君たちの一票が私の政治生命を築くのだ」ぐらいにしか届かない。

ちなみに、成人式の起こりは昭和21年のこと(意外と新しい。戦前にはなかったし、日本だけのもの)。埼玉県蕨市の当時の高橋庄次郎市長が第一国民学校(現蕨市立北小学校)を借りて「成人式」を行ったのが始まりだとか。それが各地に広まり、昭和23年に「成人の日が制定された。

終戦直後、成人式は日本を元気づける催しであったに違いない。以来50年、もはや是非論も含めて見直しが必要ではないか。

かねてより私は、二十歳に成人式をするのが実に中途半端なことだと感じていた。高校卒業は18歳だし、運転免許も成人映画も18歳。酒はそれまでに徐々にたしなむものだしね。社会人と学生が混じり合っている二十歳は、結局のところ選挙権が与えられる年齢。

どうだろう、この際、18歳を成年にしては・・・。そこへ選挙権と100%の刑事責任開始の年を合わせる。ハイティーンを子供扱いしていると、良き次世代は育たないよ。

あるいは逆に、50歳くらいに引き上げるかだ。私自身、いまだに人として成し得てないもんね。