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2010.10.09 「入院、そして経過のご報告」


只今、私は病室でこれを書いています。まさか私が一週間以上の入院をすることになろうとは…。入院に至った経緯はこうです。


きっかけは私の不注意からでした。9月3日の国立能楽堂での「おぺらくご」が盛り上がり、すっかり気をよくした出演者は意気揚々と打ち上げ開始。かなり酔っぱらって、宿泊先のホテルでシャワーを使い、浴室を出る時に、少しだけ高くなってる敷居の所に左足の親指をガツン! 「痛い」と小声で叫んだのは覚えています。爪の付け根から少しだけ血が出ました。でも、すぐに止まったので、酒の勢いでそのままその日は寝ました。翌朝、痛みはありましたが、見た目は何ともなかったので、そのまま放っておきました。その夜は赤坂シアターで「情熱大陸×落語会」。少し早く着いたので、赤坂サカスで整体マッサージを受けました。打撲のことを言い忘れていた私は、左足の指を引っ張られるなり「痛っ」と思いました(が、声には出ませんでした)。その後も何とも無かったのですが、ウォーミングアップしていざ本番。高座を降りて気がつけば、足先がパンパンに晴れているではありませんか!


この話をここまで楽屋で喋った時、南光兄さんが「お前、浴室でどんなプレイをしててん」「何もしてません」、「相手は誰や」「ちょっと、このけの…いや、居てへんて」。ざこば兄さんが「浴場で欲情か…」「何を言うたはるんですか」。すると、傍にいた藤田観光の藤田基彦さんが「浴室の段差は、外へ出る時が危ないんです。これからはウチの系列のホテルをご利用下さい。ウチのホテルはすべて段差を取りました」。


翌日からは足が痛みだし、二ヶ所の病院を回りました。双方ともにレントゲンで骨折が見られず、血液検査も取り立てて異状がなかったので、抗生物質と消炎剤の経口投与で様子を見ていました。でも、私はこの時期、連日落語会で全国各地を回っており、連日好きなお酒を振る舞われるので、ついつい飲んでしまい、炎症に拍車をかけて行ったようです。


1ヶ月近く経っても腫れは引かないし、熱は持ってるし、どす黒くなってきたし…、たまたま明神さんという人に勧められたクリニックで診てもらったところ、エコーを見ながら「骨髄炎の疑い濃厚。親指切断だけで済めばええけどな」と言われ、一気にゾッとしました。


また別の病院を紹介してもらい、MRI検査をすると、確かに深いところ、骨の回りに影が! 骨の写り具合も右足に比べて左足のほうが薄くなっている! 二人の医師の相談の結果、「一刻も早く切開したほうがよいです。現代において指を落とすのは最後の手段。今回は致しません。但し、腐った骨の部分は切除して行きます」とのこと。私は覚悟を決めました。


このことを妻に話した時、彼女は「え~!」と驚きながらも、「大丈夫。前向きの気持ちを持ったら大丈夫」と、励ましてくれました。ありがたかったです。あとは、我々にできるのは祈ることぐらいです。「苦しいときの神頼み」という言葉はいろんな意味に解釈されますが、妻の友人の奥田かんなさんから、ただただすがるのではなく、その事象に深い意味を感じて泰然と祈るということを教わりました。


また、私の友人も、書家の大徳寺昭輝さんはじめ、いろんな方が応援と祈りを授けてくれました。大きな“幸せ”を感じ、落ち着いて手術に臨むことができました。改めてここに感謝致します。 


2008年10月4日は小米朝から米團治へと名前が変わる襲名の日でした。2年後の同じ日に手術を受けました。しかも、手術室に入り麻酔を受けた時刻が午後4時。2年前の南座での襲名披露公演初日の開演時刻は午後4時でした。私にとってこの日は物事を拓く日なんだなぁという思いを胸にしながら、いざ切開。


(次回に続く)