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2012.05.24 「高野山参拝」


23日(水)、私の神社仏閣参拝仲間である明神さん一家と高野山に行きました(^0_0^)

 

世界遺産にも登録されている高野山への日帰りの旅──。大阪に住んでいる者の利点は、電車にしろ、クルマにしろ、ものの一時間ほどで数々の名勝古蹟に辿り着けることです。今回はクルマでの参拝。

 

出発前夜、明神さんから「金剛峯寺に行く前に、まず神社へお参りしましょう」というメールが届いたので、神社辞典(東京堂出版)を繙いたところ、丹生都比売神社(ニウツヒメジンジャ)というのを発見。「主祭神は丹生都比売大神(ニウツヒメノオオカミ)。そこに高野御子大神(コウヤミコノオオカミ)、大食都比売大神(オオゲツヒメノオオカミ)、市杵島比売大神(イチキシマヒメノオオカミ)を加え、四社明神として祭る。高野山開山以前からの地主神であり、空海の信仰によっても知られる」とあります。

 

空海、すなわち弘法大師が高野山を開く前からある神社…ひょっとして、明日行くのはここのこと? 翌朝、明神さんに逢うなり尋ねると、正にその通り! 私は明神さんとともに、気持ちよく晴れ渡った空の下、丹生都比売神社に向かいました(^ー^)


 

 

和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230番地に位置する丹生都比売神社──。この辺りは昔から天野(アマノ)と呼ばれていたんだそうで…文字通り、天界の野原という気分になってきます。とても長閑(ノドカ)! (美味しいお米の産地でもあるんだとか)。

 

 

参詣を済ませ、社務所で由緒書をいただこうとした時、ちょうど宮司さんが出て来られ、神社にまつわる色々な話をして下さいました。空海は、高野という霊山で育まれてきた日本古来の神道を崇敬しながら真言密教を広めて行ったこと。それゆえ、高野山の修行僧は丹生都比売神社にお札を納めに来るという習慣。その神仏習合の精神が日本人の穏やかさを形成しているのだという考察。聖徳太子以来の密教はゾロアスター教(拝火教)の影響を強く受けている──即ち、不動明王の護摩法要は火焔信仰の象徴の一つであるということ。丹生とは水銀が取れる鉱山を表す言葉であり、防腐剤や激薬にもなる水銀は、太古においては貴重な物質であったことなどなど…、一つ一つ丁寧にお話し下さいました。

 

ちなみに、宮司さんの名前は丹生晃市。そして、丹生宮司は我々を特別に拝殿の中に通して下さり、重要文化財に指定されている本殿(四つの社殿)を間近に見せて下さいました(^0_0^)


 

 

高野山とお大師さまの関係をしっかり聞いてから、金剛峯寺にお参りしたので、より一層ありがたみが増しました。山王院の西側に四社明神が奉られている理由もよく解りました。そうそう、境内のシャクナゲは今を盛りと咲き誇っていました。大塔、金堂、そしてたまたま開いていた西塔などを拝観し、奥の院へと進みます。


   


 

 

お大師さまが即身成仏されて以来、ずっとそこにおられる御廟の地下法場は、実に清々しく静寂な空気に包まれていました。宗派を越え、教義を越え、お大師さまが今も多くの人々に慕われている理由がよく分かりました。

 


南院の浪切不動尊にも手を合わせた我々一行は、次に立里荒神社へと向かいました。明神さん曰く「ここはお大師さまが高野山を訪れた時に、荒ぶる山の神の御霊を鎮めた所なんです。高野山を修行の場に成し得たきっかけの場所だとも言えると思います」。


 

 

なるほど、標高1260mの荒神岳の頂上付近に位置する境内から西側を眺めると、下に金剛峯寺が見渡せます。また、東側には大峰山の霊峰が広がって…、紀伊山地の奥深さを大いに感じました。もっともっとお大師さまのことを知ろうと思った次第。

 

今回は時間が足りず、空海の母が住んでいた九度山町にある慈尊院(女人高野別格本山)には伺えませんでした。次回は宿坊に泊まろう!