2012.05.21 「感動的だった金環日蝕」

2012年5月21日は忘れ得ぬ日となりました。世紀の天体ショー、金環日蝕を大阪で見ることができたのですから!

 

前夜は私、吹田市千里山の自宅ではなく、尼崎市武庫之荘の米朝宅泊まり。父と一献交わした後、深夜1時に床に就きました。大阪では午前7時25分頃から太陽が欠け始めると聞いていたので、寝過ごさないように目覚ましを7時15分にセットして就寝。

 

たぶんすぐに眠りに就いたのでしょうね。ふと気がつけば、チチチチチという鳥の声。え? こんな目覚まし音じゃなかったはずなのに…と思いつつ、時計を見れば、まだ4時45分…。夜鳴き鶯の(ような)声に起こされたのです。

 

またウトウトとすれば、今度は東の窓からの朝日で目を覚ましました。午前5時45分、「わぁ、綺麗!」。まことに輝かしく清々しいご来光を拝むことができました。

 

 

それとともに、鳥たちの囀ずりが始まります。もう私は寝られません。父は熟睡でしたが…f(^_^)

 

ところが、午前6時過ぎから太陽が雲に隠れました。「え? そんなアホな…」。空を見上げれば、いつしか全天の8割ほどが雲に覆われているではありませんか。太陽はその雲に隠れたり、また出てきたり…。「お願い! 雲よ去ってくれ!」。私は祈りながら、7時20分になるのを待ちました。

 

近年、こんなに気持ちを集中させたことあったかなと思うほど、一所懸命祈りました。「舞台に対しても、これぐらい集中しなさい」という、もう一人の自分からのツッコミを聞きながら、必死に祈りを捧げます。

 

その甲斐あってか、午前6時53分、どんどん空が晴れて行きました(^0_0^)  やったぁ! 一度、日蝕グラスを目に当てたところ、「わぁ、もう欠け始めてる」。この感動を父に伝えようと部屋に行くと、まだ熟睡中。代わりに、慶治朗が起きて来ました。

 

あ、慶治朗というのは、一昨日(5/19)入ったばかりの私の弟子です。紆余曲折の10代~20代前半を過ごし、28歳になってから噺家を志した変わり種ですが、よろしくお願い致します。

 

それはさておき、その新弟子と肩を並べて、日蝕を観察します。日蝕グラスを交互にかざし、太陽を眺めながら、「直接太陽を見たらあかんで!」。まさか彼も、入門して最初の教えが“太陽観察”と“雲払いの祈り”だったとは思ってもいなかったでしょう。

 
 

 

大阪では午前7時28分から約3分間、完全に金環日蝕に入りました。しばし、日蝕グラス越しの金環を堪能します(^ー^)

  

 

私が子供の頃に堪能した皆既日蝕では、かなり暗くなったと記憶しているんですが、金環日蝕では明るさはほとんど変わらなかったのが意外でした。でも、それが今回の大きな発見となりました。

 

その後、隣家の宮本さんとゴミ出しでお会いして、私が「金環、ご覧になりました?」と訊けば、「はい、綺麗でしたね。冥土の土産になりました」と仰るので、「何をおっしゃいます」と返しましたが、よう考えたら私にとってもハッキリと冥土の土産でありました(^o^ゞ

 

世紀の天体ショー、あ~楽しかった(^ー^)