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2011.11.25 「文治まつり in 四日市」


25日(金)は三重県四日市市の「文治まつり」に招かれました。大阪で初めて寄席興行を開き、数々の芝居噺や滑稽噺を創作したのが初代桂文治(1773~1815)。上方落語中興の祖として名高い初代の功績を称えるべく、7年前に四日市市で「文治まつり」が始まりました。なぜ四日市かと言うと、彼がそこで死んだから…。初代文治は巡業先の四日市で急逝したのです。


という訳で、私は近鉄難波駅から特急で一路、四日市へと向かいました。同行は米輝と、伴男(吉川マネージャー)。近鉄大阪線の車窓から見る眺めは実に長閑(ノドカ)です。特に、桜井駅を過ぎたあたりからの田園風景や山あいの景色は、上方落語の『東の旅』を彷彿とさせてくれます。喜六・清八が伊勢参りに行く、ほぼそのままのルートを走るんですからね。「吉川、のどかな景色やなぁ」と振り返ると、彼は熟睡(~。`) こちらも長閑な光景でしたf(^_^;

  
初冬を感じる車窓からの眺め。

 春を感じる車内の空気。


閑話休題──。実は、今から32年前の昭和54年に初代文治の墓が四日市市内で見つかり、米朝・枝雀・私(当時は小米朝)の三人でお参りに行ったことがあるんです。初代文治が客死した時、どなたかがお墓を作って下さったんでしょうね。それはそれは小さなお墓が宝光山仏性院の墓地の傍らの草むらに隠れるように佇んでいました。当時、私は「この小ささがいいなぁ」と思ったものです。


そして、お墓発見から四半世紀を経た平成16年──、四日市市出身の噺家が奮起したのです。すなわち、桂福團治師匠、林家染弥くん、桂二乗くんの三人が「文治まつりを開催しよう」と決意。それを実行し、今年で8年目になるとのこと。その催しに私が招かれたという訳です。考えたら、初代米團治は七代目文治になってますから、米團治と文治はかなり濃い繋がりと言えそうです。


まずは、お墓参り。32年前に行った時は草むらにひっそりと佇んでいたものが、今では墓地の敷地内に移され、小さいながらも石碑まで建てられていました。ご住職の読経の中、一人ずつ手を合わせます。今日は天気にも恵まれ、爽やかな心地になりました(^0_0^)  

  石碑も備わった初代桂文治のお墓。

 
戒名は「釈空海」!          神妙に手を合わせる出演者一同。

 
福團治師匠とともに。    三重テレビの取材を受ける私。 


三重テレビの取材も受け、あとは四日市市文化会館での記念落語会を待つばかり。午後6時半、三重テレビの美人アナ、山口未翼さんの司会のもと、舞台上のスクリーンで「文治まつりのこれまで」が映し出され、さぁ、いよいよ開演! この日は陽気なお客様に助けられ、二乗くんから大いに盛り上がりました(^ー^)


『阿弥陀池』二乗

『七段目』米團治

   〈中入〉

『看板のピン』染弥

『寿命』福團治


初代桂文治の業績に改めて感謝します☆☆☆ ところで、私は翌日(26日)、四国の観音寺市で独演会があるため、打ち上げには参加せずに帰阪しました。残念。来年は宴会だけ参加しますね↑↑↑