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2011.10.31 「椿山荘で落慶法要~祗園甲部の手打ち」


31日(月)は東京都文京区関口にある椿山荘に行きました。椿山荘と言えば、もとは明治の元勲、山縣有朋のお屋敷。それを大正時代に大阪を本拠としていた藤田財閥の二代目当主、藤田平太郎男爵が譲り受け、現在は藤田観光株式会社が経営する庭園付きのフォーシーズンズホテル&レストランとして広く知られている所です。

 

その庭園にあった三重塔が改修されるにあたり、京都・相国寺の有馬頼底管長の提案により、新しく観音さまが入られ、その三重塔落慶および聖観世音菩薩入仏開眼の法要に私が招かれたのです。というのも、法要の後の祝斎──即ちパーティーで、京都は祗園甲部の芸妓さんによる「手打ち」があったからです。何しろ、3年前の10月4日、京都の南座で行われた「小米朝改め、五代目桂米團治襲名披露公演」の初日に、祗園甲部の芸妓さんたちが何と舞台上で「手打ち」を披露して下さったのです。その時のお礼の意味も込めて今回、その進行役を私が仰せつかったという訳です。

  新しくなった椿山荘三重塔。

  

「手打ち」とは元々は京都にやって来た歌舞伎役者を男衆が迎える儀式だったものが、いつしか女性が迎えるようになり、今は祗園甲部の芸妓連中だけが伝えている独特な御祝儀ものであること。10人の着飾った芸妓衆が一糸乱れず小さな紫壇の拍子木を打ちながら慶事を囃し立てるさまは、ちょっと見ることのできない貴重なものであることなどを解説させていただきました。案に違わず、芸妓衆が登場するなり、宴会場はパッと華やかになり、大いに盛り上がりました(^ー^)

 

椿山荘の庭園の三重塔に入られた観音さまも、さぞやお喜びだったことと思います。そうそう、この日は70%の確率で雨が降る予報だったのに、東京は朝からカラッと晴れました。関係者は異口同音に「導師を勤められた有馬頼底猊下のお力だ」と囁いていました。

  「手打ち」のメンバーの一人、豆涼ちゃんとともに。

 天下の晴れ男、有馬頼底猊下とともに。

 

パーティーの後は、羽田から伊丹へ飛び、伊丹シティホテルでの「ディナー&落語会」に合流しました。昨日に続いて今日も「日本は近くなった」と感じた次第。宴会場でざこば・南光のお二人に会った途端、大阪へ帰って来たことを実感しました。

 

『時うどん』しん吉

『七段目』米團治

『義眼』南光

『肝つぶし』ざこば

 

皆、大いに受けて、ご機嫌で帰りました(^ー^) 1日のトリイ寄席もがんばるぞ(^0_0^)