2011.11.30 「怒涛のごとくの一日」

29日(火)は名古屋と金沢の掛け持ちでした。名古屋は学校公演、金沢は石川県立音楽堂と朝日新聞の共催による「落語&錦影絵の会」。ただでさえハードな移動なのに…。

 

まずは学校公演。名古屋の南山高校・中学女子部の生徒対象の落語観賞会です。場所が中京大学市民会館オーロラホールとなっていたので、どういうことかいなぁと思っていたのですが、地方自治体から民間への有償譲渡、いわゆるネーミングライツというやつでした。京セラドーム大阪とか、龍谷大学アバンティ響都ホールみたいなもの。ちなみに、この市民会館は客席部分が4階まである2300人収容の大ホールですが、音の跳ね返りが素直で、とても演じやすいホールでした。しかも、南山中・高の女子生徒がとても素直! 学校公演はピンからキリまであるけれど、この日は出方一同大喜び。全員女子の客席に対し、舞台は雀々・米團治・こごろう・紅雀・しん吉・吉の丞・そうばといった、むくつけき野郎どもです。皆、ノリノリで高座を勤めました。私も学校公演用にネタを短縮することなく、普通のリズムで演じることができました(^ー^) 

 

「解説」こごろう&紅雀

 お囃子…はやしや律子・しん吉・吉の丞・そうば

『桃太郎』米團治

『七度狐』紅雀

『動物園』雀々

 

と、その時、楽屋に緊急自体発生の一報が入りました。「JR北陸本線の踏切に兵庫県尼崎市の79歳男性が運転する乗用車が立ち往生し、そこに特急サンダーバードが衝突、脱線。復旧の見通し立たず」とのこと。「えっ!?」。私は、名古屋の出番を終えて、すぐに新幹線で米原まで行き、そこから特急しらさぎに乗り換え、金沢チームと合流する予定でした。しかし、事故現場が福井県であるため、サンダーバードもしらさぎも止まったまま…。ということは、私だけでなく、金沢行きの全員が行けなくなるかもしれないのです。さあ大変。その内、米左・まん我の二人は錦影絵の道具を運ぶため、当初からクルマ移動でしたが、あとのメンバーは急遽、途中からレンタカーで行くことに…。しかも、何人かは昼の部のワンコイン寄席にも出演するのです。皆、それぞれ無い知恵を振り絞って次なる最善手を考えました。

 

私は名古屋から米原まで新幹線で行き、そこでYTVの『ほんわかテレビ』の収録を済ませた南光兄さんと合流。そこからレンタカーに乗って、南光・米團治・米輝・滝川マネージャーの4人で行くことになりました。私は米輝を連れて名古屋駅を走ります。(普通は弟子がするはずの)キップの切り替えからレンタカーの手配に奔走。米輝は後ろから荷物を抱えて青息吐息で付いて来るだけ。レンタカー屋さんもこの日ばかりは大忙し。普通のセダンがもう無くて、ようやくトヨタのBOXYが手回りました。米原駅で南光兄さんと滝川マネージャーの到着を待ちました。タッキーこと、滝川さんは実はこの日非番。めっちゃ忙しいタッキーがようやくありつけた休日だったのに、金沢行きの手伝いに急遽駆り出されることになって…タッキー、ご苦労様。

 

米原駅に到着したタッキーの「米團治さん、私が運転しますよ」という声掛けにも、「いや、俺がする。時間も無いことやし」と、半ば強引に私が運転しました。ご承知の通り、私は無類のクルマ好き。午後4時半に米原を出発──。開演は午後6時半。カーナビの到着予想時刻は午後7時。タッキーが「少し開演時刻を遅らせてもらいましょか?」「大丈夫。たぶん予想時刻は縮まる。任せて!」。しかし、いきなり北陸道の米原インターの入口を勘違い。一つ手前の信号で右折してしもたf(^^; (ここの看板は間違えやすいよ。改良の余地あり)。

 

最初に3分ロスしたものの、高速に入ってからはスムーズ走行。絶対に事故は起こさないぞという確証のもと、大胆かつ細心な運転で、開演10分前の午後6時20分に石川県立音楽堂の楽屋口へと到着。着くなり、南光兄さんが「お見事! 米團治の運転はうまいわ」。初めて南光兄さんに褒めてもらいました。落語ではなく、運転でf(^_^; ふと助手席を見ると、米輝が固まっていました。おそらく失禁寸前だったと思います。いずれにせよ、予定通り開演することができました。

  吐く息が絶え絶えの米輝。

 南光さん「君は運転うまいわ」。私「落語で褒められるより嬉しいです」。

 

『三十石』まん我

『蛸芝居』米左

『桃太郎』米團治

『胴切り』南光

   〈中入〉

「錦影絵」

解説…南光 実演…まん我、吉坊 お囃子…大川貴子、米左、佐ん吉、二乗

 

終演後は、会場近くの「冨久寿司」の二階の座敷で美酒に酔いしれました。料理も美味しく、セコ蟹、のどぐろを初めとする加賀料理の数々に舌鼓を打ちました(^ー^)

 

そうそう、昼の部からの5人組はもっと大変だったようです。大阪駅に集合した時にサンダーバードが止まっていることを知り、取り敢えず在来線で京都まで行く内に、湖西線のダイヤがかなり乱れていることが分かったため、新幹線に乗り換えて米原まで行き、そこから再び在来線に乗り換えて敦賀に到着。そこで何とかレンタカーを調達して、今井社長の運転でこれまたギリギリ間に合ったのだとか。

 

アクシデントはありましたが、無事に舞台を開くことができ、めでたしめでたし。翌朝には平常通りのダイヤに戻っていたため、サンダーバードで無事帰阪しました。この日の出来事は後々までの語り草になりそうです。打ち上げでの米輝の発言も含めて…。(こればかりはとても私の口からは言えません。師匠の面目、丸潰れ。すぐに同行者の口から広まるでしょうが)

  
翌朝の金沢駅。左 サンダーバード、右 しらさぎ。