What is Rakugo?=落語って何やねん? その②  (2010.08.17)

落語は江戸時代の元禄期、西暦で言うと1680年代に誕生しました。

戦国時代が終わり、徳川幕府によって日本が統一され、平和な時期が数十年ほど経過した頃、落語が生まれました。今の東京=すなわち江戸と、京・大阪=上方というふたつの都会で落語は産声を上げたのです。

戦国の世では常に「明日死ぬかもしれぬ」という緊張が心に走ります。そこではなかなか笑いの芸は認めてもらえません。でも、天下泰平の世の中が続き、特に都会で商業が発達してくると、人々の心と懐に余裕が生まれます。そうなって初めて笑いの芸が受け入れられるのです。落語は平和の象徴と言えるかもしれません。

笑いの伝道師(大袈裟ですね ^^;)の装束はというと、普通の着物です。着物を着た人が座布団の上に座って大勢の人に語りかける構図は、お寺のお坊さんと同じですよね。

そう、落語家の原点は説教僧だったのです。お説法の面白い人が民衆に受け入れられ、人気を博し、やがて落語家という話芸の専門職につくようになったのです。江戸では鹿野武左衛門、京では露の五郎兵衛、そうして大阪では米澤彦八が噺家の祖としてほぼ同時期に活動を始めました。

その噺家が手にしているものと言えば、扇子と手拭い。ただただしゃべるだけの芸なのですが、これが貴重な小道具となります。扇子を筆に、手拭いを半紙に見立て、字を書くしぐさをしたり・・・、扇子の先に目をやって、長い釣竿に見立てたりします。

なぜ扇子と手拭いを持つのかと言うと、扇子と手拭いは和服姿の人が常に携帯する「みだしなみ」だからです。当時の日本人は皆、着物を着て生活していました。ということは、誰もが扇子や手拭いは当たり前に持っていたのです。「皆さんと同じ持ち物を使っておしゃべりをしているんですよ」という心なのです。落語家はお客さんと同じ格好で高座に上がってお話する--、いわば、観客の一人・・・もっと言えば、庶民の代表という気持ちで登場したのです。

ところが、今や日本は洋服社会となり、落語家のスタイルは特別のコスチュームのように見られるようになりました。でも、大衆の一人という心は変わってないのですよ。

(続きはまた次回)