What  is Rakugo?=落語って何やねん? その③ (2010.08.21)

元禄期に江戸と上方、日本の東西でほぼ同時期に誕生した落語ですが、その演じ方は全く違いました。

江戸は、お客を座敷に招いて、或いは落語家が座敷に招かれて、そこでしゃべりました。いわば、お説法のスタイルを踏襲したものと考えてよいでしょう。

それに対して上方は、大道芸の一つとして展開されました。神社仏閣の縁日にそこの境内で行われたのが始まりとされています。ズラッと屋台が並んだその一角に葭簀張り(よしずばり)の小屋を設け、三味線や太鼓を賑やかに囃し立て、参拝客を中へ呼び入れたのです。上方には噺の途中で音楽(はめもの)が入るパターンが多いのも、こうした成り立ちの違いによるのです。音曲入りの際たるものは旅ネタでしょう。旅ネタには、はめものが不可欠です。

こうして次第に、江戸落語は「静」、上方落語は「動」というイメージが定着していきました。実は、江戸には大正時代まで出囃子(噺家が登場するときの音楽)すら無かったのです。「江戸落語は文学のように、上方落語は音楽のように発展した」と考えても面白いかもしれません。明治の末期、誰かが文豪・芥川龍之介に「先生、上方落語では例えば日が暮れた時にボーンと銅鑼(ドラ)が鳴るんですよ」と言ったら、「くせえことをするんだねぇ~」と小馬鹿にしたという逸話が残っています。

どちらが良くて、どちらが悪いというものではありません。全くタイプの違うものが同時期に生まれ、競い合ってきたことが、双方の繁栄に繋がったんだと思います。

(続きはまた次回)