2017.10.11 《 神戸での「桂米團治独演会」── 大盛況!》

爽やかな秋の到来!

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住吉大社の境内も清々しい氣に満ちています☆

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全国各地での独演会に勤しむ私。毎回、本番に向けての身体のコントロールが大事なポイントとなるのです。

9日(月・祝)は神戸での公演でした。

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大阪新音主催による私の独演会──。昨年までは元町の神戸朝日ホールで開かれていましたが、この度、ホールが閉鎖されたため、今年は県庁前にある兵庫県民会館9階の「けんみんホール」で開かれることに…。1968(昭和43)年竣工の建物です。

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9階の楽屋からの眺め☆

初めてのホールなので、少々不安もありましたが、舞台係さんの尽力により、落語に相応しい空間に早変わり!

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お蔭さまで、演者とお客様が一体となり、どんどん盛り上がって行きました↑↑↑

大阪ミナミで生まれた私は、3歳の時に阪急武庫之荘へ引っ越しをして以来、幼稚園~小学校~中学校~高校と、ずっと尼崎市で暮らしていました。すなわち、兵庫県民だったのです。

小学四年生の時、母の勧めでサッカースクールに通い出したのがきっかけで、スポーツ少年団のリーダー講習会に参加するようになった私。

たまたま、兵庫県と沖縄県が“友愛県”を結んでいたことから、アメリカに占領されていた沖縄が日本に復帰した翌年、すなわち1973(昭和48)年に沖縄で開かれた若夏国体に少年視察団の一人として沖縄を訪問したのです。

神戸港から関西汽船の3,000トンほどの船で奄美大島の名瀬港を経由して沖縄本島の那覇港へ向かう一泊二日の船旅で、私はこの上ないほどの船酔いを経験しました。たまたま低気圧が通過し、海は荒れ、船は大揺れ。吐くものはすべて出て…それでも吐き気は収まりません。何度、自分の胃液と睨み合ったことでしょう。那覇に着いてからもしばらく身体が揺れているようでした(^^;)

でも、それ以来、飛行機であれ船であれ、どんなに揺れても決して酔うことはございません。

で、その時に、表敬訪問などで訪れたのが、この県民会館でした。

という話をマクラで喋ってから、本題に入った次第。

『米揚げ笊』 慶治朗
『看板の一』 米團治
『禁酒番屋』 米左
『蛸芝居』 米團治
   〈中入〉
『高津の富』 米團治

沢山のご来場、心より御礼申し上げます。感想をお聞かせ下されば幸いです。

終演後は大阪に戻って出演者一同で打ち上げ。

大いにウケたことに気をよくした私は「リーガロイヤルホテルのセラーバー(Cellar Bar)に貴重なウィスキーをキープしてん。食べるもんも色々あるから行こ!」と皆を誘い、クルマで大阪へ──。

予想より早く、午後6時前にホテルに着いたため、まだセラーバーが開いてない!

「よっしゃ、ほな、時間まで一階のリーチバー(Leach Bar)で飲も! ここは午前11時から空いてんねん」

うまく繋いでくれた助演の米左くん、三味線の寺西美紀ちゃん、粟津マネージャーとともにベルギービールで乾杯(^o^)/\(^o^)

ほどなく、セラーバーに移り、大宴会(´V`)♪ ひょんなことから三味線の浅野美希ちゃんも加わり、私はダブルMIKIに囲まれ、上機嫌( ^-^)(^o^)(^-^ )

「山崎12年」「Royal Household」「竹鶴25年」と味わううちに、美紀ちゃんがとてもいい感じの酔い方に~

あの桂三歩くんの酔い方とそっくりになったのです。(こっちも酔ってたから写真撮り忘れた! 次回は必ずおさえます)

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貴重なウィスキーが手回ったのも、或る日、私が「えっ、“マッサン”以来、余市が無くなったの !?  天六のNAGIには何種類もあるんやで」と傲慢な発言をしてしまい、それからセラバーのマスターが「余市はありませんが、これなら…どうでしょうか」と“お宝”を出して下さるようになったという次第。

これまではワインや日本酒を堪能してきた私ですが、これからはウィスキーにも食指が伸びていきそう。あぁ、やばい。