2013.02.28 《叔父の敏、逝去》

私の父には中川敏(サトシ)という、少し風変わりな弟がおりました。

 

父の弟──、つまりは私の叔父です。昭和4年生まれですので、父より4つ年下。郷里の姫路から出ることなく、ずっと独身を貫きました。80歳を迎えるまではとても元気だったのですが、80歳を越えた頃に喉頭癌であることが判明し、摘出手術をした後、しばらくは以前と変わらぬ暮らしをしていたのですが、昨年の秋に体調を崩し、今年の1月7日、肺炎のため帰らぬ人となりました。享年85歳。


ちょうど各地で正月興行の落語会が開催されている時期でもあったため、ごく内々の者だけで葬儀を執り行い、今月25日に納骨を済ませました。親戚の方々にもお伝えしそびれた方があります。非礼の段、何卒お許し下さいm(__)m


叔父は生涯独身を貫き通し、酒とタバコとコーヒーをこよなく愛した人でした(^0_0^)  普段は寡黙でしたが、酒が入るととても饒舌になり、興にのると突然『加藤隼戦闘隊』などの軍歌を歌い出したものです(^o^)/


また、文才に長けており、中川富夫というペンネームで文芸誌「姫路文学」への投稿を続けておりました。


交友範囲は決して広くなく、うんと限られていたのですが、限られた人との交流の度合いはとても深いものがありました。


ほぼ毎晩、お城近くの「マントミ」というスナックに通っていたご縁から、そのお店の西澤さんご夫妻が、叔父の入院から最期に至るまでの面倒を見て下さいました☆m(__)m

 


父方の家系(中川家)は代々姫路で暮らしておりました。私の祖父が大善町にある九所御霊天神社の守り役を任されたことから、そこの宮司となり、父も10代で神職の免許を取得した経緯があるのです。ところが、父は噺家となり、叔父も神職を継がなかったため、その後、この天神さんはいろんな方の手によって受け継がれ、現在は高澤宮司が守り役を勤めておられます。

 


そんな誼(ヨシミ)で、お葬式から納骨まで高澤宮司にお願いし、すべて神道の作法に則って進めていただきました。

 


25日(月)に五十日祭・忌み明けの儀式・納骨式を無事済ませ、城巽公園前のレストラン「かわばた」で直会(ナオライ)。

 


米朝事務所の川端温子マネージャーのご両親でもあるシェフの川端さんご夫妻が腕をふるって下さいました(^人^)

 


お蔭さまで、叔父を偲びながら、和やかなひとときを持つことができました(^人^)


今回、祖父の代からのご縁ということで、一連の段取りを迅速に組んで下さった株式会社ハリックスの大加戸健社長、そして雑用一切のお手伝いを引き受けて下さった姫路在住の落語研究家の小澤紘司さんに、厚く御礼申し上げますm(__)m


大加戸健さんと一緒に九所御霊天神社前で。

叔父が一人で暮らしていた中川家の家屋は神社の借地であったこともあり、3月早々に取り壊されることが決定。

 


姫路の家は無くなりますが、今回のことで私は姫路の方々の温かいお心に深く接することができました。もっともっと中川家のこと、そして姫路のことを詳しく知っておかなければならないなと思った次第。


☆☆☆感謝☆合掌☆☆☆