2012.08.04 「桂米朝作『淀の鯉』、口演秘話」

ホンマに暑い日が続いていますが、皆さんお元気でいらっしゃいますか? 脱水症状を起こさぬよう、水分補給と塩分補給に心掛けましょうね。糖質・塩・クエン酸摂取──、これが私のモットーです(^0_0^)

 

 

ところで、大阪・梅田のサンケイホールブリーゼでは、今月1日から連日「米朝一門夏祭り」が繰り広げられ、沢山のお客様で賑わっています(^人^)

 

初日には、桂米朝作『淀の鯉』を私が高座で披露させていただきました。これは父・米朝が21歳の時に書いた新作落語です。まだ四世桂米團治師匠に正式に入門する前のこと──、すなわち中川清という名前で米團治師に宛てて書いた作品なんです。ところが、米團治師匠はこれを演じることなく、そのまま“お蔵入り”となり、いつしか米朝宅の膨大な書類の束の中に紛れ込む結果となってしまいました。しかし、今回、小ホールで同時開催されることとなった「米寿記念・桂米朝展」の準備にあたり、姫路在住の落語研究家である小澤紘司さんが、反古(ホゴ)の山の中からその直筆原稿を見つけ出して下さったのです。

 

そして、それを私が演じることに! 父が若かりし日に作った作品が65年ぶりに陽の目を浴びる…!

 

この作品は、船場の旦那が淀川に屋形船を浮かべて芸者衆に鯉を釣らせ、それを板場の喜助に料理させる。ところが、喜助は船が大の苦手──、さぁどうなるかという筋立てなんですが、私はこれをどう演ずるべきかと大いに迷いました。

 

ようやく、ある程度の目処がついた7月31日、ふと私の心に「京都の神泉苑(シンゼンエン)に行きたい」という思いがよぎったのです。何故だか分かりません。で、ネット検索をしてみると、神泉苑は平安時代の初めに空海によって作られた庭園であることが分かりました。そこには大きな池があり、「善女龍王」と呼ばれる龍神さまが住んでおられるとのこと。ちなみに、「御池通り」という名前はこの池に由来するんだそうです。そして、神泉苑は東寺の真北に位置することが判明。最近、空海に興味を覚えるようになってきた私──これは、いよいよ行かなアカンぞ…。実は私、しょっちゅう京都に行ってるのに、恥ずかしながらこれまで一度も東寺にも神泉苑にも入ったことがなかったのです。

 

 

まことに遅ればせながら、満を持しての東寺拝観。正式名称は真言宗総本山、教王護国寺。日本最初の密教寺院です。

 

 

いやぁ、素晴らしかった! 境内から仰ぎ見る五重塔はとても凛々しく、堂々と聳えていました。55メートルという高さは、木造建築物としては今なお日本一だとか。中には空海が唐より持ち帰った仏舎利が納められてあるとのこと。

 

次に、金堂と講堂を順に拝観。その見事な佇まいに、心洗われました。金堂には薬師如来、講堂には大日如来を初め、数々の国宝や重要文化財となっている仏さまが穏やかな表情で並んでおられるのです。張り詰めた気持ちがみるみるうちに緩み、心が落ち着きました。特筆すべきは、お堂の中が涼しいこと! 外は酷暑であるにも拘わらず、中は風通しが良く、とても居心地が良いのです。日本の木造建築の素晴らしさに改めて感じ入った次第(^0_0^)

 

さて、いよいよ眼目の神泉苑です。善女龍王が祀られてある祠(ホコラ)をお参りし、池に架かる橋を渡ると、とても良い氣を感じました。

 

 

ふと足元に目をやると、何十匹もの鯉の大群がこちらに近づいて来るではありませんか!

 

 

そして、池の端に目をやると、何と綺麗に彩色を施された屋形船が繋がれてあるのです! びっくりしました(0_0)  まさに『淀の鯉』や☆☆☆

 

 

私の『淀の鯉』の構成が京都の神泉苑で完成したということは、ここだけの秘密にしておいて下さいね(^_^ゞ