2011.03.21 「上方文化再生フォーラム」

連休も落語会尽くしでした。 19日は大阪府和泉市の弥生の風ホール、20日は大阪・谷町の本長寺、21日は和歌山県岩出市のホテルいとうにて、いずれも賑々しく行われました。


関西はお蔭さまで被害がないため、ほとんどの所で落語会が開かれています。 仕事があることに感謝☆ 私はこの連休中も “笑い” で元気を提供し、そのパワーで自分もエネルギーを補給し、被災地への支援に励んでいます。


ところで、20日(日)には落語会の後、大阪・千日前のトリイホールで 「上方文化再生フォーラム」 があり、私はパネルディスカッションのコーディネーターとして参加しました。 まずは近松研究家の鳥越文蔵氏の基調講演があり、その後、ディスカッション。 商店街の代表の方をはじめ、ミナミの文化に携わって来られた方々がパネラーとして並び、「沈滞したミナミをどうすれば再生できるか」 というテーマに対し、さまざまな提言が示されました。 結構バラバラな意見も飛び交いましたが、“道頓堀” を核として再びかつてのような小綺麗な街並みにして行きたいという点では一致しました。


特筆すべきは、お忙しい中、大阪市長の平松邦夫さんが参加して下さったこと。 上方文化を心から愛する市長が、 「財政難の中、急には元に戻らないだろうけれど、徐々にではありますが着実に旧き佳きミナミの街並みを取り戻してまいりますので、どうか皆さんの熱意を聞かせて下さい。皆さんの声が高まれば、私が牽引役になります」 と柔和な表情で、でも力強く仰いました。


シンポジウムの後、特別に平松市長が被災地への取り組みの現状をお話し下さいました。


大震災直後の 「上方文化再生フォーラム」 は何やら示唆に富んでいました。 東北地方は地震と津波により一瞬にして瓦礫の街と化しました。 復興には何年もかかりそうです。 それに対し、大阪ミナミは地震も無いのに廃墟と化した土地がいっぱいあります。 知らず知らずのうちに秩序の無い街に変わってしまったです。 30年かかって変えられた街は、戻すのに30年…いや、30年以上かかります。 ひょっとして大阪ミナミの再生は東北地方より時間がかかるのではないかということに気づかされ、びっくりしました。


時間はかかるけど、着実に進めるにはビジョン(展望)が大事。 50年後、100年後のミナミがどうあるべきかを市民の一人一人が描くことが初めの第一歩なんですね。 平松邦夫という総合プロデューサーに立ち上がっていただけただけでも、今回のシンポジウムは成果があったと思った次第です☆