2011.02.07 「八百長事件について」

6日は岐阜から帰阪して、天満天神繁昌亭に向かいました。 桂一蝶独演会に出演のためです。 彼は今は亡き先代春蝶師匠の弟子で、私とはほぼ同期。 というわけで、昔から飲み友達でもあります。


当日会場は大入満員。 何と二人のお子さんもお手伝い。 息子さんが法被姿でロビーを手伝い、 娘さんは着物姿でお茶子役──。


私はマクラでその微笑ましい光景を述べた後、噺家の家に生まれた子が同じ職業を継ぐのが、いかに難しいかということを喋りました。「特に親が偉大であれば大変…その点、一蝶とこはラクかもね」とf(^_^)


その勢いで、昨日のマクラはいろんな話に発展しました。「我々の世界も伝統芸能なら、相撲(角力=スモウ)も伝統の世界。 昔から、ある程度の八百長があるのは、皆さん知ってましたよね。 それを識者とかコメンテーターと称する人たちが“考えられないこと”とか“まさかと思っていた”など発言することこそ、信じられないことです。 そもそも昔は “人情相撲” という言葉で語られてきました。 横綱が “この一番をワシが負けたら、この力士の家族みんなが助かるんじゃ” とか “この親方にはその昔いろいろと助けてもろうた。 その恩返しに” と言ってわざと負ける一番があったのです。 もちろん、こんなことはめったにありません。 再々やってたらそれこそ観衆にバレてしまいます。横綱が命を賭けて取り組む一番。 その義理と人情の美徳が落語や講談や浪曲などで語り継がれ、“佐野山” “花筏” “関取千両幟” といった名作が生まれたのです。 相撲はスポーツではなく、神事であり、祭りごとなのです。 もちろん八百長は悪いことだけれど、今回咎められるべき点は、十両の下位と幕下上位の力士が私利私欲で星の貸し借りをしたことと、一部の相撲部屋に関して親方や上の力士が下の者の面倒を見なくなっていたことに集約されると思います。 今回、特別調査委員会やマスコミ主導で春場所中止が決定された背景には、日本の伝統文化を潰そうという動きが多分にあるように思えてなりません。 外国のマフィアや外資を温存させて、日本の任侠だけを徹底的に懲らしめるのはどうなのかなぁと思うんですよ」てな話にまで広がってゆきました。


最後は「実は今日の落語会も八百長なんです。 さっき、一蝶さんから“あまり笑いを取らんといてくれ”と言われて、おカネもらいましてん」と言ってから、ネタに入りましたf(^_^)


そういや、私は上方落語協会の理事でした。 それも風紀委員長。 もし、風紀が乱れている事態が発覚したら即刻、繁昌亭は開催中止にせなあかんのかな・・・。 あるいは、無観客公演に!?