桂小米朝の「新・私的国際学」<14>(2003年7月6日)

昭和38年、能・狂言・歌舞伎・落語・漫才・喜劇など、上方芸能の若き精鋭たちがジャンルを越えて集うサークルを作った。その名も上方風流(かみがたぶり)。以来40年――。今や、人間国宝にまで成長された同人たちが久しぶりに一堂に会し、先月30日『復活!上方風流まつり』と称する催しが開かれた。その司会を仰せつかったのは、この私。ところが・・・、そこで私は大失態をしてのけた。

紹介する名前を次々と言い間違えてしまったのだ。山本を片山と言い、鐘ヶ岬(かねがみさき)を「きょうがみさき」、挙句の果てには、豊本節(とよもとぶし)を「とみもとぶし」と連呼した。周りから指摘されるまで全く気付かず。気が緩んでいたとしか言いようがない。晴れ舞台に汚点を残してしまい、楽屋で謝ることしきり。

私は上方風流ではなく、上方ぶる男・・・知ったかぶりの小米朝。一を聞いて十を語る癖があり、それが思い込みにつながってしまう。実はこれまでにもいろいろある。最大の失敗は『MBS失念事件』――。

ジェフ・バーグランドさんからMBSのラジオ番組の代演を頼まれた私は、「お任せあれ!」と胸をたたいておきながら、曜日を勘違い。当日、私はのんびりクルマの洗車・・・。たまたまカーラジオをつけると、「街で小米朝さんを見かけたら、ご一報を!」と騒いでいるではないか。結局、番組のエンディングに登場しただけとなった。

翌日、米朝事務所の社長に「誠意をもって謝りに行け」と怒鳴られ、菓子折りを持ってMBSへ。ひたすら謝り、その足でNHKのドラマの仕事に向かった。ほどなく米朝事務所にMBSから電話。電話に出た社長が「このたびは小米朝が失礼しました」と詫びると、「いや、そんなことより・・・、いただいた菓子折りの袋にNHKの台本がはいっているんですが・・・」。

しばらく社長には口をきいてもらえず。今回は、それ以上。私は世界的なうっかり病の持ち主のようである。これを限りに、この病を克服するように精進いたします。