「言いたい放談」<18>(2008年1月4日)

新年おめでとうございます。今年(掲載当時2008年)は私にとりまして節目の一年となります。名前が変わるのです。この秋、五代目桂米團治を襲名させていただく運びとなりました。

振り返れば、桂米朝の家に生まれ、同じ道を志し、二代目丸出しの名前を付けられて、常に親の重みを感じつつ、時には「子米朝」と揶揄されながら歩んでまいりました。苦節30年――、このたび米朝の御師匠様の名前を受け継ぐことになったのです。

ざこば兄さんの一言がきっかけでした。「いつまでも小米朝ではあかんやろ。と言うて、米朝は無理やしなぁ。何かないか。なんでもええがな。東京は襲名ブームやのに、うちは葬式ばっかりや」

先代の米團治師匠は昭和26年に55歳で他界されたので、当然私は存じ上げませんが、何やら縁を感じます。私に通っていた関西学院大学で終戦直後に落語を演じておられたり、こういう文章を書くのが好きだったりとね・・・。

「芸は達者やったが、陰気な人やった」とは米朝の弁。そこが私と違いますね。芸は拙いけど、極めて陽気。

初代桂米團治は初代桂文団治の弟子で、家が米屋だったことから「米」が付けられたといいます。

その後、文団治から七代目桂文枝になった、いわば桂の王道を貫いた人です。いやはや、改めて身の引き締まる思いです。

実は、上方には受け継がれていない大名跡がまだまだあります。文団治、文左、文都、文之助・・・、襲名によって明治の華やぎが取り戻せたらいいなと思っています。

よろしくご指導くださいませ。

※一言加筆・・・その後、桂つく枝君が文三を襲名し、今春は桂こごろう君が南天を襲名します。そして、夏からは「三枝改め桂文枝襲名披露興行」というビッグイベントが控えています。これからも名跡の継承は着実になされて行くようです(^0_0^)