桂小米朝の「新・私的国際学」<10>(2003年6月8日)

今年も米朝一門が芝居に奮闘する時期がやってきた。松竹座6月公演『家光と彦左と一心太助』(澤島忠脚本・演出)。なにわの一心太助に扮する桂ざこば座長のもとで、私も連日いい汗をかいている。

寛永6年――。豊臣秀吉を滅ぼし、徳川幕府の手によって再建された大阪城の視察のため、ひそかに大阪入りした三代将軍家光と天下のご意見番大久保彦左衛門。太閤びいきの大阪人を統率するにはかなりの苦労が要ったことだろう。阪神ファンの地にいきなり巨人の監督が乗り込むようなもの・・・。そのため家光公は大阪の街づくりに邁進した(道頓堀ができたのもこのころ)。

その将軍に扮しているのが桂南光さん!あの顔、あの声で・・・。登場するだけで2分は笑いがやまない。ざこば・南光両人のかけ合いの妙で爆笑が続くのだが、三幕に入ると一転。どんどん泣けてくる。もちろん、彦左役の小島秀哉さんをはじめ、野川由美子、芦屋小雁、曽我廼家文童、こだま愛といった百戦錬磨の諸先輩に支えられているからであることは言うまでもない。

が、もう一つ、音楽に支えられているところも大きいように思う。舞台芸術は裏方さん(道具、照明、音響、衣装、床山・・・)なしには成り立たぬ。殊に、劇に付随する音楽は役者や観客の気を高める上で大きな役割を果たす。今回、家光のセリフに流れる旋律に私は豊かな包容力を感じた。ちょっと大げさだけれど、プッチーニの音楽を聴くような気分になる。

そして、もう一つ。三代に渡って将軍に仕えてきた彦左の哀愁。その彦左に拾われた一心太助が将軍に直談判する勇気。そんな封建社会の美学が日本人の琴線に触れ、観客の共感を呼ぶのではないだろうか。

三人の生ざまがしみじみと描かれた喜劇。米朝師匠に育てられたざこば兄貴の少年青春時代がオーバーラップして、舞台に大粒の涙が落ちる。