「現代のことば」<12>

オペラと落語を合体させた舞台芸術“おぺらくご”。私がこれに取り組みだしてから、はや25年が経過。この言葉、果たして市民権を得たのかな?

 

「おぺらくご」なる造語を最初に使ったのは、当時、京都フィルハーモニー室内合奏団に在籍しておられた声楽家の菊池勝哉さん。今は亡き枝雀さん演じる落語『猫』(小佐田定雄作)を聴いた菊池さんが「これおをオペラにしたい」と熱望され、おぺらくご『猫』が誕生したのです。私もそこに登場し、何も分からぬまま「ねこがもの言うたぁ~」と歌っていたのを、昨日のことのように思い出します。

 

その頃、私は「落語のオペラ化もいいけれど、筋の複雑なオペラを落語で分かりやすく伝える手段はないものか」と考え、それには喜劇がよかろうと、モーツァルトの『フィガロの結婚』をダイジェスト(抜粋)で上演。

 

それをご覧になった音楽評論家の響敏也さんが「もっと大きな規模にしましょう」と打ち立てたのが、オペらくご『背広屋の利発な結婚』。モーツァルトの『フィガロの結婚』とロッシーニの『セビリアの理髪師』をもじったタイトルで、大阪・船場の商家で巻き起こる喜劇へとリメーク。その後は『ドン・ジョヴァンニ』改め『ドンならんな』、『コシ・ファン・トゥッテ』改め『こしあん取って!』と大きく展開。

 

ただし、このシリーズは演劇性がかなり強かったので、私は私なりに「落語に軸足を置いたもの」を作り続けました。これが近年の“おぺらくご”です。

 

まずはオペラを落語にする。うまくオチの付いた台本を書いた上で、必要な曲だけを足していくという手法。その結果、ともすれば冗長になるアリアの分量が減り、話の骨子や作者の意図がはっきりと見えてきたのです。オペラではつい行間に埋もれてしまう登場人物の心情も、落語で演じるとどんどん際立ってくるから不思議。

 

落語の強みは、解説書なしで観客に筋を伝えることができる点。どんな複雑な噺でも、落語家は決して「あらすじ」は配りません。逆にオペラの強みは、重厚なサウンドで観客の心を大きく揺さぶることができる点。美しいハーモニーに触れた瞬間、全身に鳥肌が立ち、「生きてて良かった」と思います。まさに至福のひととき。

 

その両者のええとこ取りを目指すのが“おぺらくご”なのです。時々、「おぺらくごを観た後に本物のオペラを観たらもっといいよね」と仰る御仁がおられますが、内心悔しい思いに駆られます。「やはり、こちらが本物ではないのか。でも、いつか本物を凌駕してみせるぞ」とね。

 

したがって、生半可な気持ちでは到底つとまりません。音楽家と噺家が50%ずつの力を出し合ったところで100%になるわけがない。双方が100%の力を出しきった時にこそ、新しい芸術が生まれるものだと確信しています。その真髄はコラボ(協調・共同制作)を超えたフュージョン(融合)にあるのではないでしょうか。

 

来月4日に京都芸術劇場・春秋座で“おぺらくご”の開催。めでたく融合しますかどうか。