トップへ

2011.12.23 「☆☆天皇陛下、78歳のお誕生日☆☆」


23日(金)、天皇陛下が78歳の誕生日を迎えられました。心よりお慶び申し上げます。


産経新聞と読売新聞には、天皇皇后両陛下がこれまでの訪問先の記された日本地図を仲睦まじくご覧になる様子が、写真とともに第1面に掲載されてありました。


毎年、全国各地を訪問され、行く先々で国民の心の拠り所としてのお役目を果たしておられる両陛下ですが、今年は本当に多忙な一年だったと思います。東日本大震災が起き、まだ詳しい被害状況が掌握されていない時に、ご自身の希望によりテレビを通じて国民に語られ、体調が万全でないにも拘わらず、ご夫妻で被災地を次々と回られ、一時期は那須の御用邸まで開放されました。避難所で陛下から握手された方々は、さぞや心が落ち着かれたことでございましょう。常に国民の目線で物事をお考えになる両陛下のお姿には、尊敬の念を抱かずにはいられません。


しかし昨今、戦後民主主義的な教育の中で、「今の日本に天皇って要るのん?」と訝る人が少なからず出てきました。無理もありません。皇室の維持にはかなりのおカネがかかります。「財政難の折に、ここは仕分けしないの?」と言われた時にどうするか…。また、将来的に皇室の品格や職務が本当に受け継がれるのだろうかという不安は、デヴィ夫人のブログを見るまでもなく、今や国民の関心事となっています。


まぁ、これからの事はさておいて、天皇制のあり方について、私が子供や友人から質問を受けた時は、こう答えてきました。「天皇は神主の最高位やねん」と。日本という国は古来よりさまざまな民族が和合して形を成してきました。自然(山・川・岩・森など)に神が宿るという信仰を持っていた原日本(縄文)人の棲みかに、水田耕作や製鉄技術を持った集団が大陸から主に朝鮮半島を経由して入り込み、幾多の戦いを経ながらも邪馬台(ヤマト)は様々な勢力と和合し、やがて大きく和する大和(ヤマト)国家を産み出したのです。その時の大王(オオキミ)は、敵対する民族の首長の霊をも神として奉り、各地に社を建てさせました。それゆえ、日本には神社が沢山あり、自然崇拝以外の祭神もいろいろと存在するのです。すなわち、ニギハヤヒ、スサノオ、アマテラス…などなど。


また、日本に仏教が伝来したとされる聖徳太子から空海に至るおよそ250年間は、今以上に国際交流が進んだ時代と言えましょう。仏像という形を取って、拝火教(ゾロアスター教)、景教(東方キリスト教)、天台宗や真言宗などの密教が入り、朝廷は神仏習合という形でどんどん取り入れました。日本人の汎宗教の精神はこの時に培われたんでしょうかね。


長い日本の歴史の中、朝廷の家系は途切れることなく今日まで続いてきました。2000年以上もの間、大王の家系がずっと続いているのは世界で唯一、日本だけです。かつては世界最長を誇るエチオピア王国がありましたが、共和国となって王室は途絶えました。


そりゃ、日本の皇室も万世一系かと訊かれたら、甚だ疑問です。邪馬台(ヤマト)が大倭、あるいは大和に統一される頃の大王は神武だったのか、崇神だったのか、応神だったのか…とてもあやふやです。また、継体王朝で血縁は途絶えているとか、天智と天武は兄弟ではないとか…、最近では明治天皇は孝明天皇の子ではなく南朝の係累の大室寅之助であるなど、さまざまな学説が飛び交い、枚挙に暇がありません。


尤も、さまざまな民族が大きく和合して形成されたのが日本ですし、いろんな血が入ったほうが遺伝子学的にも安心(^0_0^) 実際、今の天皇陛下も「私の祖先である桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であることが『続日本紀』に書かれてあり、韓国とのゆかりを感じます」とお言葉をお出しになっているほどです。


いずれにせよ、大きく一つの家系の流れの中で、いつの世も天皇が日本人の心の拠り所として存在してきたのは確かなことで、それは天皇が神宮や神社を司る職の最高位にあるからこそ成せる偉業だったと、私は思います。


陛下は今もなお皇居で神事のお務めをされています。日本人の食の根本であるコメ作りがその基本。お田植えをされ、稲刈りをされ、初穂を神に供える神嘗祭。そして、五穀豊穣に感謝する新嘗祭…。多忙な公務の中で、日常の“まつりごと”を実践されている天皇皇后両陛下に敬意を申し上げるとともに、ますますのご健勝をお祈り申し上げる次第です。


天皇誕生日に際し、心のよしなしごとをそこはかとなく書き綴りました☆☆☆


 
米朝宅に今日も燦然と輝く文化勲章と、陛下直筆の書状。