2012.03.31 「ホテルプラザ、解体工事始まる」

年度がわり──、放送局も番組の変更や人事の移動など、新旧の入れ替わりで“生まれるもの”と“無くなるもの”の悲喜こもごもの場面があちこちで見られますが、この春、建物が一つ消えます。朝日放送が長年に渡って経営していたホテルプラザの建物の解体工事が始まりました。

 

ホテルプラザは経営難からすでに1999年3月31日をもって営業を終えておりましたが、頑丈な建物ゆえ、取り壊すのにも相当なおカネがかかるなどで、10年以上そのままになっていたんです。

 

プラザ一つの取り壊しにこんなに時間がかかるんですから、原子力発電所の取り壊しには何年かかるんでしょうね。21世紀はいろんな分野で原状復帰の技術が求められる時代になりそうですね。

 

それはさておき、今回の解体に際しては“9・11テロ”の時のように一瞬で垂直に壊す方法は採りませんでした。やはり住宅地ゆえ、爆音や粉塵が周囲に及ぼす影響の考えたんでしょう。施工業者の竹中工務店さんが採用した方法は、環境にやさしい超高層建物解体技術──その名も「竹中 HAT DOWN 工法」!

 

 

いや、私は何も竹中工務店の回し者ではないのですが…看板にそう書いてあったもので。「騒音やホコリを出さないように、ビルの頭に工場を作り、それを大きな帽子で覆うのです。そして、解体して行くに連れて工場は徐々に下がって行き、最後に地面に降りて、工場を解体して終わる」という方法だそうです。しかも、工場で生まれるエネルギーはリサイクルされるようにするなど、環境面にかなり配慮しているとのこと。

 

尤も、この方法は解体するのにかなりの時間を要するんだそうで、実は昨年の夏から工事に取りかかっているのですが、更地になるのは今年の秋になるとのこと。

 

でも、ここは思い出が一杯詰まったホテルです。私が結婚式を挙げた所でもあるし、シンフォニーホールで名演奏を聴いた時などマルコポーロというバーで感動の美酒に酔いしれたものです。そこでベロベロになっている小松左京さんを無理やりタクシーにお乗せしたこともありました。プラザ最後の日には偶々(タマタマ)さだまさしさんと同席し、お別れの記念写真を撮ったものです。

 

 

大阪万博の前年にできたホテルプラザ──。30年間の思い出が詰まったホテルは、取り壊すのにも相応の時間をかけたほうがよいのかもしれません。近頃、この前を通る度に、郷愁にふける私です。