2011.10.23 「四世桂米團治の命日」

今日は、四世桂米團治の命日です。

 

米朝の師匠であった四代目桂米團治(本名:中濱賢三)は、昭和26年10月23日に55歳で他界しました。この前日、大阪赤川ホーム(キリスト教関係の母子寮)で高座を勤めた直後に脳溢血で倒れ、翌日帰らぬ人となりました。四代目は滅びかけていた上方落語を次世代に残すべく、随筆や口演速記本を自費出版したり、関西学院大学の古典芸能研究部の顧問となって落語会を開き、各地に後援会組織が作られ出した矢先のことでした。4日後に予定されていた第2回関西学院大学落語会は、大きな大きな追悼公演として実施されたそうです。

 

四代目桂米團治の遺志を私の父が受け継いで、多くの同人たちとともに今日まで落語界を牽引してきた訳ですが、まさか私が米團治の名跡を継ぐことになろうとは夢にも思いませんでした。しかし、縁とは不思議なもの。3年前に私が五代目を襲名。それこそ多くの方々のお力添えを戴き、全国77公演に上る襲名披露を果たすことができました。また、四代目の娘さんである風間きみ子さんとの親交も生まれ、一昨年には大阪市東成区今里の住居跡に「中濱代書事務所跡地」の顕彰碑まで建てられる運びとなったのです。

 

先代は洒脱な精神に富み、実に微笑ましい俳画が沢山残っています。私など先代には遠く及びませんが、しっかり精進して一歩ずつ近づこうと思っています。なお、先代のお墓はありません。一心寺で永代供養され、骨仏におなりです。

  唯一残っている高座写真。

 
普段は柔和なお顔だち。       『魚の狂句』の一節をもとにした俳画。

 
今は東成区役所の敷地内となっている中濱代書事務所跡地に石碑が建てられました。

 爽やかな日差しのもと、先代の精神を感じて。

 
たまたま、除幕式の司会をして下さった金光敏(キム・ファンミン)さんと出会い、区役所をバックに写真を撮ってもらいました。

今日はその後、今宮戎神社での「しのぶ庵寄席」チャリティー24時間落語マラソンの[第9区]のトリに出演させていただきました。

 

『延陽伯』紫

『餅屋問答』福丸

『卒業式』鉄瓶

『饅頭こわい』のんき

   〈中入〉

「チャリティー・オークション」

『軽業講釈』染左

『七段目』米團治

 

ご来場の皆様、ありがとうございました(^0_0^)